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ハリーウィンストンとは?5大ジュエラーの1つ!歴史と特徴を解説

2024.12.03

多くの女性が憧れるジュエリーブランド『ハリー・ウィンストン』

世界的に有名であることからその存在は知っていても、ブランドの詳細まで把握している人は少ないのではないでしょうか。

  • ハリーウィンストンとは?
  • どんな歴史をたどってきたの?
  • ブランドの特徴は?

このようなことを知りたいですよね。

そういうわけで今回は、ハリーウィンストンについて詳しくお伝えしていきます。

ブランドの歴史や特徴などにも触れていくので、ハリーウィンストンが気になる人はぜひ参考にしてみてください!

ハリー・ウィンストンとは

『ハリー・ウィンストン』は、1932年ニューヨークで生まれたジュエリーブランドです。

世界5大ジュエラーのひとつに数えられ、「キング・オブ・ダイヤモンド」と讃えられています。

ロゴの「HW」はブランド名の頭文字であると同時に、「Husband(夫)」と「wife(妻)」の意味も込められているんですね。

そのため、婚約指輪や結婚指輪としてハリー・ウィンストンを選ぶカップルが多いです。

ハリー・ウィンストンは世界各国のセレブ達からも高い評価を得ており、そのジュエリーを身につけることがステータスになっているほど。

というのも、ダイヤモンドのクオリティに定評があるからなんです。

そんな「一生もの」といえるハリー・ウィンストンのジュエリーは、ブランド誕生から90年以上経った今でも多くの女性を魅了しています。

ハリー・ウィンストンの歴史

ここからは、ハリー・ウィンストンの歴史について以下の項目ごとにご紹介していきます。

  • 創設者ハリー・ウィンストンの生い立ち
  • 1932年ブランドを創設
  • 「スターたちのジュエラー」と呼ばれる
  • キング・オブ・ダイヤモンドの称号を獲得
  • スイスのジュネーブを手始めに海外進出
  • 創設者の死後、時計事業に力を入れる
  • 2013年スウォッチグループの傘下となる

創業者の幼少期の様子やブランドが立ち上がるまでの経緯、その後の活躍までをぜひチェックしてみてください。

創設者ハリー・ウィンストンの生い立ち

創業者であるハリー・ウィンストンは、1896年ニューヨークで生まれました。

移民の息子だったハリー・ウィンストンは、幼い頃から父親が経営する小さな宝石店でさまざまな宝石に触れて育ったんですね。

そのおかげで彼は徐々に見る目が養われていき、宝石への情熱に目覚めたのは12歳のとき。

ハリー・ウィンストンは、質屋にある緑色の石に目を奪われます。

店主がガラスだと思っていたその石を彼はエメラルドだと見抜き、25セントで購入したんです。

同じく父親もガラスだと思ったエメラルドでしたが、後にその石は800ドルで売れました。

つまり、ハリー・ウィストンには本物を見分ける目がすでに備わっていたということです。

その後、一家がロサンゼルスに引っ越した後もハリー・ウィストンは父親の元で経験を積みました。

数年後ニューヨークに戻り、ハリー・ウィンストンはビジネスを立ち上げる決意をします。

1932年ブランドを創設

ハリー・ウィンストンは1920年、最初のビジネスとなる「プレミア・ダイヤモンド社」を5番街535番地に立ち上げました。

この時代には、ヨーロッパ貴族が所有していた華やかできらびやかなジュエリーをモダンにリメイク。

当時の富裕層に好まれるシンプルなデザインのジュエリーを制作しました。

ハリー・ウィンストンはジュエリーのデザインや制作だけでなく、原石を買い付けて加工していたことでも知られています。

彼のように、原石の買い付けから加工、制作、販売まで一貫して行うのは当時非常に珍しいことでした。

細部にまでこだわった結果、ハリー・ウィンストンは世界の富裕層向けに極上の宝飾品を扱う宝石商へと歩みを進めていきます。

そして1932年、ついに自身の名前を冠したジュエリーブランド「ハリー・ウィンストン」を立ち上げます。

プレミア・ダイヤモンド社での功績が、ジュエリー市場で高い評価を受けたんです。

この頃からハリー・ウィンストンは、高額の宝石の売買だけでなく自らのデザインによるジュエリーの制作に力を入れていきました。

ちなみに彼は、ダイヤモンドへのこだわりが非常に強かったんですね。

世界中のダイヤモンドの原石から素晴らしいものだけを選び抜き、ジュエリーにしてきました。

そしてダイヤモンドの輝きを最大限に引き出すため、研磨やカット、デザインにもこだわったんです。

その結果、まるで芸術品のような美しいジュエリーを生み出し、多くの富裕層を魅了しました。

「スターたちのジュエラー」と呼ばれる

多くの人を魅了してきたハリー・ウィンストンは、やがて「スターたちのジュエラー」と呼ばれるようになりました。

その名がついたきっかけは、1944年に『聖処女』でアカデミー賞主演女優賞を受賞したジェニファー・ジョーンズにダイヤモンドジュエリーを貸し出したことです。

それからはハリウッドのレッドカーペットにて、名だたるスターたちが彼の宝石を身につけて登場するようになりました。

とはいえ、ハリー・ウィンストンとハリウッドの関係はもっと前から始まっていたんです。

1930年代、ハリー・ウィンストンが726カラットの巨大なダイヤモンドの原石「ヨンカー」を獲得した直後のこと。

彼は、当時のハリウッドスターたちがヨンカーを手にした写真を、多数のメディアに掲載したんですね。

これにより、多くのアメリカ国民がヨンカーに大きな関心を寄せたんです。

さらに1936年には、ヨンカーを題材にしたショートフィルムが製作されています。

このようにハリー・ウィンストンは、「スターたちのジュエラー」として80年以上にわたり人々を輝かせているんです。

キング・オブ・ダイヤモンドの称号を獲得

1947年、コスモポリタン誌はハリー・ウィンストンの輝かしい功績を讃えて、彼を「キング・オブ・ダイヤモンド」と称しました。

その称号を得る前から、ハリー・ウィンストンは宝石商として注目を集めていたんです。

というのも、優れたエステート・ジュエリー(※)や世界で名高いダイヤモンドを取り扱っていたから。

※エステート・ジュエリーとは:故人の遺産や個人の資産だったジュエリーなど、かつて誰かが所有していたジュエリーのこと。

エステート・ジュエリーに関しては、プレミア・ダイヤモンド社の時代から獲得していたため、徐々に王族や大物実業家とのつながりができます。

このつながりを通じて彼は、世界で最も貴重なダイヤモンドや宝石へ近づく機会を得ました。

また、ハリー・ウィンストンは目の肥えた顧客の要望に応えるため、希少なダイヤモンドと宝石を求めて世界を飛び回っていたんですね。

多くの世界的に有名な宝石コレクターが、宝石への並外れた知識を求めてハリー・ウィンストンの元へ集まりました。

このように、彼は「キング・オブ・ダイヤモンド」の名にふさわしい実績を残したんです。

スイスのジュネーブを手始めに海外進出

ハリー・ウィンストン社は1955年、初の海外店舗としてスイスのジュネーブに店を構えました。

その後1957年にはフランスのパリに店舗をオープンし、徐々に海外進出を進めて行きます。

ビジネス拡大の最中、ハリー・ウィンストン社はニューヨークの5番街718番地へ移転。

より広いスペースを確保し、ビジネスの急成長とともに増加する顧客の要望に応えていったんです。

そして1988年には、日本の銀座にもフラッグシップとなる店舗をオープンさせたんですね。

このように世界中に販路を広げたことで、ハリー・ウィンストンはさらに人気を加速させていきました。

創設者の死後、時計事業に力を入れる

「キング・オブ・ダイヤモンド」として世界中に名を馳せた創始者のハリー・ウィンストンは1978年、82年の生涯を閉じました。

宝石商として一時代を築いたハリー・ウィンストンの跡を、2人の息子が継ぎます。

ですが、息子たちは経営権を巡って長年の間争っていたとのことです。

そして1989年、ハリーウィンストン社は時計事業に参入し、初となる「HW プルミエール」コレクションを発表。

宝石で培った高い宝飾技術は時計の製造にも活かされ、時計事業においても世界中から高い評価を受けました。

より高精度な時計を生み出すべく、ハリーウィンストン社はさらに力を入れていきます。

その一環として2007年、世界の時計製造の中心地であるスイスのジュネーブに時計工房を設立しました。

2013年スウォッチグループの傘下となる

2013年、ハリーウィンストン社はウィンストン一族の手を離れ、スウォッチグループの傘下となります。

スウォッチグループは、オメガやブレゲ、ブランパンなどのラグジュアリーウォッチブランドを所有している世界最大の時計企業です。

このグループにハリー・ウィンストンが入ることで、時計のみならず高級ジュエリー市場の拡大にも期待が寄せられていたんですね。

なお、この買収にはハリー・ウィンストンが行ってきたダイヤモンドの採掘事業は含まれていませんでした。

そのため、採掘は「Dominion Diamond Corp」が行い、スウォッチへダイヤモンドを提供しています。

こうして、ハリー・ウィンストンが長く積み重ねてきた宝飾や時計の技術は、スウォッチグループへと受け継がれました。

ハリー・ウィンストンの特徴

ここからは、ハリー・ウィンストンの特徴を以下の4つの項目に分けて解説していきます。

  • ダイヤモンドの輝き
  • 輝きを守るカット技術
  • クラスター・セッティング
  • 世界の希少な宝石を収集

それではさっそく見ていきましょう!

ダイヤモンドの輝き

「キング・オブ・ダイヤモンド」と称されるだけあり、ハリー・ウィンストンが取り扱うダイヤモンドの輝きは特別なものです。

厳選された最高級品質のダイヤモンドだけをジュエリーにしています。

ちなみにダイヤモンドを評価する国際基準として、「4C」と呼ばれる以下の4つがあるんですね。

  • カラット(重量)
  • カット(輝き)
  • カラー(色)
  • クラリティ(透明度)

この4Cが全て最高基準を満たしたダイヤモンドを使用するのが、ハリー・ウィンストンの特徴だといえるでしょう。

また、ハリー・ウィンストンでは「キャラクター(個性)」を5つ目の「C」として重視。

それぞれのダイヤモンドが持つ個性や輝きを、最大限に引き出してジュエリーに施すという理念は、創業から今も変わらずに受け継がれています。

輝きを守るカット技術

ハリー・ウィンストンは、ダイヤモンドの輝きを守るカット技術を採用しています。

たとえばラウンド・ブリリアントカットのほか、クッションカットやエメラルドカットを得意としているんですね。

クッションカットはダイヤモンドの隅を丸くした四角いもので、エメラルドカットは横から見ると階段状になったもの。

とくにエメラルドカットはダイヤモンドが持つ透明度も重要視されており、輝きがより一層引き立つ手法なんです。

このようにハリー・ウィンストンは、さまざまな手法を駆使してダイヤモンドの魅力を最大化しています。

クラスター・セッティング

ハリー・ウィンストンが開発した「クラスター・セッティング」も、同ブランドの大きな特徴だといえます。

クラスターセッティングとは、同じサイズの小粒のダイヤモンドを並べてセットし、一粒ダイヤモンドのように見せる手法のことです。

これによりダイヤモンドが大きく、より輝きがあるジュエリーに仕上がります。

もともとハリー・ウィンストンが取り扱うダイヤモンドは、最高品質のものばかりです。

それら一つひとつのダイヤモンドの美しさを最大化する技術が、クラスター・セッティングだといえるでしょう。

なお、クラスターモチーフはすべてのハリー・ウィンストンのジュエリーの基礎となっています。

選び抜かれたダイヤモンドとこの技術が合わさり、唯一無二のジュエリーが生まれるんです。

世界の希少な宝石を収集

世界の希少な宝石を収集していることも、ハリー・ウィンストンの特徴です。

かつては収集した宝石をハリー・ウィンストンの手で加工し、新たなジュエリーとして蘇らせていたんですね。

ハリー・ウィンストンが持つ宝石学の知識と、最高級の色石を見分ける鋭い審美眼が、ブランドを支える柱のひとつでした。

とはいえ、ダイヤモンド業界は競争の激しい世界。

さらなるビジネスの展開・拡大に向けて、ハリー・ウィンストンは希少な宝石を獲得するためのある手法に目をつけました。

それは「エステート・ジュエリーオークション」です。

おもに世界の富裕層や著名人などがかつて所有していた、価値のあるジュエリー(エステート・ジュエリー)の獲得に力を入れます。

これによりハリー・ウィンストンは、世界中からエステート・ジュエリーを収集しました。

このように、ハリー・ウィンストンは現在も創始者の意志を受け継ぎ、世界の希少な宝石を収集し続けています。

ハリー・ウィンストンが保有した希少なジュエリー

ここでは、ハリー・ウィンストンが保有したジュエリーを5つ紹介していきます。

  • ヨンカー
  • ホープ・ダイヤモンド
  • ウィンストン・レガシー
  • ストータスベリー
  • スター・オブ・インディペンデンス

ひとつずつ詳しくお伝えするので、ぜひ参考にしてみてください。

ヨンカー

「ヨンカー」とは、世界中で注目された726カラットのダイヤモンドの原石のことです。

1934年に南アフリカで発見された際、ダイヤモンドの権威であるアーネスト・オッペンハイマーが「ヨンカー」と名付けました。

この巨大なダイヤモンドの原石の存在を知ったハリー・ウィンストンは、一瞬で魅了されたんですね。

のちに彼が競り落としたことで、ヨンカーは再び注目を集めました。

そしてヨンカーは12個にカットされ、その中で最も大きかったのは125.35カラットのもの。

ダイヤモンドの輝きと透明感を最大限に引き出すエメラルドカットでした。

ホープ・ダイヤモンド

「ホープ・ダイヤモンド」は、世界最大のブルーダイヤモンドです。

このダイヤモンドはインドのコルール鉱山で発見され、ルイ16世やマリー・アントワネット、数々の歴史的人物の手に渡りました。

しかし所有者に不幸が降りかかるという伝説があり、『呪われたダイヤモンド』と呼ばれることも。

そんな黒い噂を意に介さず、ダイヤモンドは1949年にハリー・ウィンストンによって購入されました。

彼はこのダイヤモンドを自らのブランドのシンボルとし、大切にしていたといいます。

その後、1958年にアメリカの国宝として、ワシントンD.C.のスミソニアン博物館に寄贈したんですね。

歴史的価値を共有する、ハリー・ウィンストンの懐の深さが知れるエピソードです。

ウィンストン・レガシー

「ウィンストン・レガシー」は2013年にハリー・ウィンストンが手に入れた、101.73カラットのペアシェイプ・ダイヤモンドです。

ペアシェイプ・ダイヤモンドとは、雫型や涙型とも呼ばれる「洋ナシ」を彷彿とさせる形のダイヤモンドのこと。

ダイヤモンドの内側に傷や不純物などの欠陥がないフローレス、かつ透明度が高いカラーレスとなっています。

当時のオークションにて、「これまでのダイヤモンドの中で最も完璧なもの」と称されました。

なおこのダイヤモンドは、日本円で約30億円で取引されたとのことです。

1カラットあたり約2858万円で、無色のダイヤモンドとして世界最高額を記録しました。

ストータスベリー

「ストータスベリー」は、34.40カラットもある六角形のコロンビア産のエメラルドです。

この石は当時の所有者だった、アメリカのフィラデルフィア社交界のエヴァ・ストータスベリーにちなんで名付けられました。

ハリー・ウィンストンは、このエメラルドを1943年に獲得。

これだけ大きく、かつ最上のクオリティを持つエメラルドは非常に珍しいといわれています。

このエメラルドを所持したことは、ハリー・ウィンストンの歴史の中で最も重要な出来事でした。

スター・オブ・インディペンデンス

「スター・オブ・インディペンデンス」は、ハリー・ウィンストンが誇る最高峰のダイヤモンドです。

雫型や涙型と呼ばれるペアシェイプで優雅な曲線を描いており、その重さは75.52カラットになります。

もともとこのダイヤモンドは204カラットの原石で、1976年にハリー・ウィンストンによりカットされました。

当時、ダイヤモンドがカットされる様子がテレビで放送されたのだとか。

このダイヤモンドはアメリカの誇りとして、アメリカ独立200周年を記念し「スター・オブ・インディペンデンス」と名付けられました。

まとめ

今回は、ハリー・ウィンストンの歴史や特徴をお話してきました。

創業当初から、最高品質のダイヤモンドだけを取り扱ってきたハリー・ウィンストン。

現在も創始者の意志を受け継ぎつつ、ダイヤモンドの魅力を最大限に引き出すジュエリーを製作し続けています。

まさに「キング・オブ・ダイヤモンド」の称号にふさわしい人物であったといえるでしょう。

彼が手に入れた希少なジュエリーは、今でも世界各地で人々を魅了し続けています。

どんなジュエリーなのか興味を持ったら、次回のお買い物の際にぜひハリー・ウィンストンを覗いてみてください。